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自由の女神像

アメリカ合衆国の独立100周年を祝い、フランスの法学者エドゥアール・ド・ラブライエがモニュメントの寄贈を提

案し、寄付の募集を呼びかけた。設計は1874年にラブライエからフレデリク・バルトルディに依頼された。設計には

エッフェル塔で知られるギュスターブ・エッフェルも関わった。像のデザインはウジェーヌ・ドラクロワの絵『民衆

を導く自由の女神』とバルトルディの母親をモデルにしたものである。資金集めのため記念像建造キャンペーンとし

て、宝くじや、1878年の万国博覧会であるパリ万博に完成頭部を展示し約40万ドル相当の寄付金を集めた。1884年に

フランスパリで仮組み完成され、214個に分解してフランス海軍軍用輸送船イゼール号でアメリカに運ばれた。

台座部分の建設資金は、「ニューヨーク・ワールド」紙社主ジョセフ・ピューリッツァが資金集めのキャンペーンを

行い、アメリカ国民の寄付によってまかなわれた。台座部分の設計はアメリカのリチャード・ハントが行った。また

女神像が置かれることになったリバティ島(当時はベドロー島と呼ばれていた)の庭園の設計はペイリー・パークの

設計で知られるランドスケープアーキテクトのロバート・ザイオンが担当した。1886年10月28日に除幕式が行われた

。当日はあいにくの雨であったが、グロバー・クリーブランド大統領をはじめ100万人以上の観衆が集まり、顔にか

けられたフランス国旗を製作者のバルトルディが除幕した。

アメリカの象徴
1924年にアメリカ合衆国国定記念物、1966年にアメリカ合衆国国家歴史登録財、1984年に世界遺産(文化遺産)にま

で登録された。1990年代に白人か黒人かとの議論となり、双方にそれらしい理屈が上がったため、意見の一致をみる

ことは無さそうであった。しかし、結局のところ女神像の色が緑であることから「緑人」ということで議論は終息し

ている。以後も、アメリカだけでなく世界の自由を象徴する建造物として多くの人に知られている。

9.11後の状況
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の際には、自由の女神像もテロの標的となる噂があった。このため2001

年9月12日から2004年7月までリバティー島への上陸が禁止された。2004年8月、台座部分の内部までの公開が再開さ

れたが、安全上の理由で頭部にある展望台の再開は見送られた。2009年7月4日、頭部の展望台は、アメリカ独立記念

日に合わせて、入場者数の制限付きながらも再開された 。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

お台場にもなんか小さい自由の女神像があるよね。本物見てみたいです。

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2009年12月08日 16:16に投稿されたエントリーのページです。

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